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2016年03月30日

続:あとがき

PROJECT of PASSPORT、3年が過ぎたあたりかな?
うん、そのころから、俺は、誰かに俺のポジションを、バトンタッチできないかな?と、考え始めたわけです。
理由は簡単で、けっこう、疲れていたんですよ。
土台は作ったから、あとは、そのままやるのもいいし、自分なりのアレンジをくわえてもいいし、ようは、責任を持って、運営してくれるTOPの人、を探したわけです。
名前は伏せますが、何人かに、システムの話をして、「どうかな?」って、問いかけたと思います。
でも、答えはNOでした。
いいんです。
無理もありません。
現状の生活スタイルの中に、ひとつの『責任』をしょい込むわけですから、無理もないのです。
話とか、俺の想いとか、聞いてくれて、ありがとうね。









まだまだ、ゴールなき旅は続いていくのでした。















2009年の11月中旬から年末にかけて、イベント盛りだくさんで、ここら辺の記憶がすごくある。
だって、半端なかったもん。
ライブタイトルだけ紹介すると・・・。
11月14日(土)酒と女はにごうまで
   28日(土)ROCK ONLY
   29日(日)今夜はブラスシャッフル
12月4日(金)ビートルズナイト初日
    5日(土)ビートルズナイト2日目
    12日(土)歳末大感謝祭(念のため・・・ライブですよ)
    19日(土)ROOTS REGGAE
    29日 (木)2009パスポートファイナルライブ
とまあ、こんな感じでした。
俺は、個人的に、『死のロード』と、呼んでいました。
打ち合わせ、チケットフライヤー作成配布、そしてライブ、打ち上げしてから、ブログのアップ、翌日のかたづけ、その繰り返し。
個人的には、(みなさんもそうでしょうけど)年末って仕事も忙しくなるし、忘年会も入るし、年賀状やクリスマスもあったりして、アップアップ・・・。
だから、11月中旬より、『どうか、風邪をひかないように、死のロードを無事終えますように・・』と、祈ったものです。
そして、無事終わって、パスポートの外に出たとき、全身の力が抜ける感じがしました。
「やった~」って、感じです。
外は、粉雪が舞っていて、行きかう人も多かった。
年末だからね。
それからどうしたのだろうか?
飲みに行ったのかな?
そのまま帰ったのかな?
そこら辺の記憶がないんだよな~、でも、粉雪はしんしんと降っていました・・・・・。
それだけは、覚えてる。
















このブログに関して・・・。






このPROJECT of PASSPORTというブログに関して、書いてて良かったと思う。
やっぱり、ライブの宣伝(フライヤー貼ったり)、そのライブがどうだったのか?というライブレポートは、いろんな意味で歴史を作っていくというか・・・。
ライブが決まり、フライヤー&チケットを作り、どう宣伝するか?
いろんな方々の目に晒すか?
80年代だったら、街角に許可をもらって、フライヤーやライブポスターを貼ったものです。
が、インターネットの世界で発信することにより、街角に貼る手間が省け、このブログを見れば、どんなイベントがあるのか?すぐわかるという、利便性に富んだやり方だったね。
フライヤーをブログに貼っちゃえばいいのだから。
しかし、若干の問題点が・・・。
ライブ宣伝だけでいいのか?って話でさ、「いついつ、こおゆうライブイベントありますよ・・」だけで、いいのか?
まあ、いいんでしょうけど、テレビドラマでも、CMでスポンサー契約している企業の宣伝するわけでしょ?
車とか、電化製品とか。
で、このブログも、記事があって、CMとして、ライブフライヤーを載せるってのがいいんじゃないかな?なんて、思って、記事を書き始めたわけです。
まあ、手当たり次第、音楽はもとより、映画、事件、政治、エロ話、などなど。
ネタが切れれば、小説っぽく?頭の中にあるストーリーを書きなぐったりして。
それは、楽しい作業でもありました。
よくもまあ、これほどの言葉が出るもんだぜ、と、我ながら感心したこともありました。
「ブログ見てますよ」って、言葉もいくつかいただきました。
俺自身、調子こいて、適当に書いてた感じです。
「もう、何も出ない・・・」と、感じても、パソコンの前で、キーボード打つと、なにかしら出てくるから不思議でした。
















ただ・・・・。
個人的な話になりますが、2013年11月かな?
なんといいましょうか、俺の奥さんの余命宣告を受けたんですよ。
「あと、1年・・・」みたいなね。
それから、何か、楽しい記事を書くということが、できなくなりました。








話はそれますが、奥さんの葬儀の時、パスポートの仲間が、たくさんお参りに来てくれて、感謝しています。
日々布団を被って、廃人のようにならなかったのは、PROJECT of PASSPORTの存在は大きかったと思います。
数々の慰めの言葉、今さらながら、ほんと、ありがとう。
当初は、つよがって、虚勢を張って(今だにそうだけど)、つっぱって(いまだにそうだけど)、その話になると、話題を変えたり、冗談でごまかしたりもしたけど、今は、若干クールなんで、感謝を。
ほんと、ありがとう・・・・・。












さて、このブログは終わるけど、いつか、どっかで、適当に、エロ話中心に、文章を綴ってみたいな・・・なんて思っています。















PROJECT of PASSPORTスタッフについて・・・・・。






俺の幸運は、かかわってくれた人間の素晴らしさにあると思うんだ。
彼、彼女らが、参加してくれて、責任を果たしてくれて、楽しく運営することができました。
俺なんて、ほんと、カイショウなしで、勢いと声のでかさ、だけの人間です。
あなたたちに、心より感謝しています。
ありがとう。









ボンちゃんは最高のやつです。昔、ホテルのバー勤務ってこともあり、ドリンクスペシャリストですよ。わけのわからないカクテルとか、「・・・ボンちゃんお願い・・・」と言って逃げる。彼は余裕。まわりを楽しい雰囲気にしてくれるのは、彼ならでは。なんて言うんだろ?彼には、幸せな人生を歩んでほしいし、その権利者だと思うね。








ちさきちゃんに声をかけたのは、彼女がお客さんで来ていた時。大いなる失恋(書いていいのか?まあ、いいか)の痛手の真っ最中だった時かな。彼女も、ほんと楽しんでやってくれたと思う。独身だった子が結婚するんだから、長い歴史ってことも言えるかな?もてたしね、彼女・・・・・深くは書かないけどさ。







レイラは、ほんとしっかりしてるよね。一生懸命にスタッフやってくれましたよ。なんていうんだろ?ライブフリークなのよ。よく知ってるっていうか。ライブに対する愛があるっていうかさ。シフトとしては、エトランゼ、サイレンジャー、クラウン、あたりのスタッフは、まず彼女に打診しました。友達だからね。心遣い、ありがとうね。








みさおちゃんは、3年くらい前にお願いしたんだっけ?旦那さん(しのぶくん)と、仲良くてさ?終わった後の飲み会で、ブチューってやってましたもんね。さすがすよ。基本、姉さん気質っていうのかな?気を使ってくれるしさ、。首輪に鎖のファッション感覚もグッドだしね。カラオケ行きたいね~。













音響の西倉君は、最後まで日本兵だった。
過激極まりない戦場で、任務を全うする軍人、第二次大戦下における日本帝国軍人は彼をおいて他にいない!
彼の、ライブ音響に対する責任感とか、追求心とか、神経集中度合とか、立派とした言いようがない。
『今東京じゃ、こおゆう音が流行ってんだ』とか『俺がやってやるから、ありがたいと思え』なんて言う、おごった考え方は彼の中にはない。
彼の頭の中にあるのは、『このバンドの音を、少しでもより良いものとして、パスポートで出したい』この1点だろう。
とかく慣れてくると、いい加減になる奴らがいる中、最後まで謙虚な姿勢を貫くあたり、立派としかいいようがない。
決して簡単なことじゃない。
炎のようなポリシーと、耐え抜くだけの精神力がないと、あのポジションを貫くことはできないと思うよ。
ありがとうね。
敬礼!










西倉くん、不在の時に、音響を担当してくれたのが、言わずと知れたコガイトくん。
このやろー、こがいと、台湾で女買いやがってこのやろ!と、まあ、同級生だからさ、ジョーダン的にね・・・・って、事実だから、そこらへんがさ、あれなんですけどね。
サンキューね、KOGAITO!









岡島くんにも、何回かやってもらったよね。
彼は本職だからさ、いろんな町のいろんなイベントに飛び回っていて、スケジュールがあった時は、快く引き受けてくれました。ありがとうね。














いろいろな思い出を綴ります・・・・。








PROJECT of PASSPORTのライブの中で、一番出演回数が多かったのは、間違えなく、マッコイ君だろうね。基本ドラムなんだけど、ベース参加とか、アコギ参加ってのもあったしね。「あれ?今夜もドラム君なの?」「そうなんすよ」みたいに、飯食ってマッコイ、クソしてマッコイみたいに、よーく会いましたよ。ありがとうね。


一番多くライブをやってくれたバンドは、これは正直調べたわけではなく、感なんですが、エトランゼじゃないかな?当初から、毎年、コンスタントにライブをおこなってくれました。時には、なぜか、『とびばこ』と、名前を変えたりしてね。真意はわかりませんが、とびばこ、だったのです。ありがとうね。


これも、聞かれたときに答えるのが、つまり、『・・・いままでで、一番印象に残っているライブは?・・・』との問いに、決まって答えるのが、『性器摩痛(せいきまつ)』かな。2010年11月の終わりかな?『聖飢魔II』のカバーなんだけど、衣装メイク、技術、ステージング、MC、の、どれもがベスト。その一回しかやらなかったってことでも、印象深いね。もしよかったら、このブログで探してみてください。



アクシデントってことでは、一回だけある。CAS+ と 零細JAZZ楽団 での、GROOVY WAVE というライブ。2008年5月終わり。ライブ終了と同時に、停電。ステージ上の照明を使った為の容量オーバーと、思うんだけど。ブレーカーの位置がわからない。ママさんもわからない。結局、タクシー乗り場のところにブレーカーがあったんだけど、真っ暗の中で、打ち上げができなくなって、場所を移ってもらったんですよね。ごめんなさい。不幸中の幸いは、ライブ終了時であったこと。これが、ライブ中だったら、ほんと、ごめんなさいです。それ以来、ステージ上部の照明は、要望があっても、お断りしました。唯一のアクシデントかな?これが。






そうそう、個人的にだけど、この場所がなかったら、サイレンジャーでベースを弾かしてもらうなんてのは、まあ、なかったと思いますよ。
『やりませんか?』と、ギターのりょうちゃんに、声をかけてもらって、『いいすよ』と、すげー軽く返事してから、俺の苦悩の日々は始まったのです。むずかしかったな~。でも、俺は、こんな年になっても、全然別世界に挑戦できたってことに、感謝しています。メンバー、ありがとうございました。













サッカー風に言うならば、イエローカード提示者2名。
一発レッドカード1名。
電話の話の中での、お断り、1名。
直接会って、話してみてのお断り、1名。
ある意味、場所を守るためには、勇気と決断は必要なのです。
俺は、恨まれるかもしれない、けど、NOはNOです。
誰か?ってのは、また、聞いてください。









飲みすぎて、急性アルコール中毒になり、救急車が来ちゃった人。ギターのしのぶくん。
大変だったね。俺、現場にいなかったけどさ。元気になって良かったよ。









なんか、ほんと、いろいろあったな~。





続く。次が最後ね。


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Posted by PSPスタッフ at 12:00│Comments(0)
 
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