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2008年11月10日

NO GET BACK ~diary~


俺がもし、一人だったら・・・・・。
きっと、恐怖のあまり、震えて、泣き、ひょっとしたら泣きわめき、正気でいられるかどうか?・・・。

もし、『生きる』ことが目的であるならば、俺はあずみの存在に感謝を惜しまない。
君が居てくれて・・・・本当に良かった。
必ず戻れるから・・・・必ず・・・・戻ったら、ファミレスに行っていろんなもの食べて、風呂にも入って・・・・携帯番号交換して・・・・あっ、そうか、君は携帯持ってなかったんだ・・・・・。
きっと、戻れるから・・・・きっと・・・・。


ヒントはこの手の中にある。


このノートにある。


俺はそんな気がする。


『1970年 義男と孝子の 死、までの日記』の中にね・・・・。


俺は、破らないように、ノートを開く。




『1970年 義男と孝子の 死までの日記』
~~1970年、10月1日、義男。
気分はいいよ!自分の人生が25歳で終わるのも悪くないな。僕と孝子の最後の場所をあれこれ探したけど、絶好の山小屋が見つかった!ラブ&ピース!

~~孝子
私は二十歳のまま、義男は25歳のまま、終わるなんて最高ね、だって、おじいさんになった義男も見たくないし、私の垂れ下がったおっぱいも見られたくない、レッツ!サイケデリック・・・。

~~10月2日 義男
死ぬ前に、気がかりなことが一つ、東大で自殺した、三島ゆきおは、この国をどうしたかったのだろうか?

~~孝子
義男、あっちへ行ったら聞けばいいよ。


~~10月4日 孝子
そろそろ、食べるものもなくなって来たね。ピース!ビートルズは解散したけど、私と義男は永遠だね。

~~義男
ビートルズは「GET BACK」って歌ったけど、僕たちは『NO GET BACK』だね。

~~孝子
戻る必要がないもの。



俺は、鉛筆で書かれた文章を、あずみに読み聞かせた。
あまりにも、ひどい内容であったら、読むのをやめようと思ったけど、冒頭からこんな感じっだったので、少し安心した。
「1970年、二人はここにたどり着いて、ここで最後を迎えようとしていたらしいね・・・」
俺が、そういうと、あずみはうなずき、メモにペンを走らせる。
『死のうとゆう気持ちはわかる気がするよ、でも一人じゃ怖いし、誰かに話しても止められるし、大好きな人が一緒だったら、死ねるかもしれない』
俺は、メモを見ながら、若干引いたが「・・・・例えば・・・ミスチルの桜井さんとか?」と、言うと彼女は微笑んだ。

その、微笑が空気を柔らかくした・・・・。


単なる偶然だろうか?俺は25歳であずみは二十歳だ。


~~10月10日 孝子
義男、誤解しないでほしいの、怖くなったんじゃないのよ。ただ、死ぬ前に、もし許されるならば、『ももの缶詰』が食べたい。

~~義男
ははは、いいよ孝子、俺も髭そりたいし、明日『立野時村』まで降りようか?確か、光屋っていう民宿があったからそこに泊まろう。お金があっても仕方がないし、そこに泊まって風呂に入って、最後のセックスをしようか?そして帰って来る。民宿で死んじゃうと迷惑がかかるしね、村まで1日はかかるから、明日は7時起だよ。東の小川沿いの道を行こうか?ラストピクニックだね。左手に乗鞍を眺めながらね・・・・。


「ビンゴ!!これだ!戻れるかもしれない!・・・・」
俺と、あずみは抱き合って喜んだ。


『明日は7時起だよ。東の小川沿いの道を行こうか?ラストピクニックだね。左手に乗鞍を眺めながらね・・・・。』
この文章を冷静に考える。
つまり、立野時村まで、1日歩く。
しかも、うまくいけばだ。
俺達に、食べるものはもうない。
果たして、水だけで、歩けるか?
今だって、腹が減ってしかたがないのに・・・・。


俺は、日記を読むのを中断し、あずみに言う。
「缶詰をあける缶切りを探そう」

缶切りは結局なかったけど、少々錆び、黒く汚れたナイフが引き出しの奥にあった。
「開けられるかな?」
俺は手ごろな石を探し、あずみはナイフと缶詰をきれいに洗った。
シーチキンの缶詰に、ナイフを突き刺し、石で叩く。
ナイフが刺さる。
その繰り返しで、1缶めがやっとで開いた。
俺がまず主食する。
のぞきこむあずみに「・・・たぶん、大丈夫、1970年の味がするよ・・・」と言う。

約3時間かけ、6缶全部分け合って食べた。
おいしいかおいしくないかなんて問題じゃない。
食うしかない。
食うことがすべて。
例えそれが、30年前の、ファーストフードであってもね・・・・。


『もっと、聞かせてほしいの、日記、どうなっても怖がらないから』と、あずみからのメモが渡された。
「もちろんさ、だってご馳走になっちゃったしね、ひょっとしたら、義男君と孝子さんも、誰かに聞いてもらいたくて、この日記を書いたんじゃないかなって思うし・・・・誰かに、見届けてもらいたかったんじゃないかな?自分たちの最後の瞬間をさ、生きた証を・・・・」俺は、そこまで言うと口ごもる。
あずみは、覗き込む。
「ごめんごめん、大丈夫大丈夫、じゃ、読むね」


俺は、最後に言いかけた言葉を飲み込んだ・・・・。


~~10月13日 義男
ただいま!我が家よ!『光屋』の山菜めしおいしかったな~、風呂にも入れたし。

~~孝子
夜通し抱き合ったしね。

~~義男
何回した?

~~孝子
5回!日活のピンク映画みたいっだったわ。

~~義男
生まれ変わったら、男優になるよ。


あずみは笑った。
もちろん、声は出ないけどね。


~~10月15日~~義男
まじめに書きます。僕は、幼い頃から、ペンキ職人の父をまわりから馬鹿にされて育ちました。「おい、ペンキや!服に塗料ついてるぞ」と言われたりした。中学を卒業して、父の下で働き、夜間高校に通いました。20の時貯めていたお金で、カワサキのバイクを買いました。すごくうれしくて毎日乗りました。休み時間に、黄色のペンキで塗りました。ペンキだけはたくさんありますからね。24歳のとき孝子に出会いました。彼女を後ろに乗せて、いろんな街に行きました。たぶん、僕は、このまま、バイクに彼女を乗せてどこまでもどこまでも走っていきたかったのだと思います。この場所に、来る途中の山道で、バイクとさよならしました。もし、誰か、欲しい人が居たら、差し上げます。黄色のバイクは僕のだけだと、自信があります・・・。


「俺が、見た、バイクだ・・・」


~~孝子
むづかしいことはわからないけど、義男に会えてよかった。楽しかった。バイクの後ろ好きだった。ポールマッカートニーよりアランドロンよりジュリーやショーケンより、義男がいいよ。ホントだよ。ごめんね、私の病気のせいで・・・、あっ、ルール違反だね、謝るのはなしだったね。ねえ、義男、20世紀はいったいどうなってるのかな?宇宙へは気軽に行けるのかな?ノストラダムスが言うように、1999年で滅亡しちゃうのかな?あっちへ行ってから観察しようね。良かった、このままの年齢で止まるから。30年後、私は50歳で義男は55歳だよ。やっぱり20世紀は、みんなにまかせたほうがいいね。


「たぶん・・・孝子さんは・・・不治の病だったのかな?・・・」
あずみはうなずく。


これも偶然なのか?あずみも声が出せないという病を持っている・・・。


~~10月20日 義男
紅葉が綺麗になったね。場所は、立野時村に向かう途中にあった、滝にしようか。すごく高かったし、下は岩場だし、流れは速いし、うまくいけば、日本海まででられるかもね

~~孝子
うん、富山の海で、蜃気楼になろう。




~10月21日 田所義男 久保孝子 埼玉県所沢市・・・・・。
いままで、どうもありがとうございました。勝手にこの場所をお借りして、申し訳なく思います。
1970年10月21日、今日は良く晴れています。気持ちの良い青空です。この平和と青空が何年も何年も続くことを願っています。
みなさん、さようなら。
そして、お父さんお母さん、本当にごめんなさいね。


文章は終わり、1枚の写真が貼られている。
カラー写真で、黄色のバイクにまたがってピースする義男君と孝子さんが写っている。
彼らは、若く、屈託のない笑顔を浮かべている。
義男君は『GET』と書かれたトレーナーを着ていた。
孝子さんのシャツには、『ラブ&ピース』と書かれていた。


沈黙・・・・・。



あずみが泣いたからってわけじゃないけど、俺は彼女にキスをした。


何かを言おうとしたけど、言葉が見つからなかった。


俺はあずみの、柔らかい下唇をそっと吸った・・・・。








  
Posted by PSPスタッフ at 12:00Comments(4)