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2016年03月29日

あとがき

PROJECT of PASSPORTについて書きます。






みなさん、今までありがとうございました。
みなさんが、絡んでくれなければ、ライブを入れてくれなければ、成り立たない計画だったのです。
心より感謝します。
思い起こせば・・・・っていうと、ほんと、いろんなことが蘇ります。
それほど、いろんなことが、ありすぎた8年間だったです。
最後に、『あとがき』ってことで、思いを綴ってみようかな、と、思います。
文章的に、いいものは書けないと思います。
ただ、自分なりのケジメとして、書きなぐります。
もし、よろしかったら、お読みください・・・・・・。













いついつライブをやる。
そのために練習をする。
チケットも裁かなきゃいけないし、フィジカルもメンタルもベストにしなくちゃ良いライブはできない。
仕事もかたずけなきゃいけないし、いろんな予定も、できれば済ましておこう・・・。
だって、ライブって、バンドにとっては、非常に重要な行事なんだからね。
非常に重要な行事・・・・。
『祭り』なのかもしれない。
ある意味・・・。


















ライブを運営する側、つまりPROJECT of PASSPORTとしては・・・・・・。
下手はできない。
考えられる準備は事前に済ませておく。
常に考えることは、『なんのトラブルもなく、無事ライブが開催され、滞りなく終了すること』
なんのトラブルもなく・・・。
滞りなく終了する・・・・・。
そう、これしかない。
飛行機と同じかな?
飛行機と同じ、飛んだら落ちるわけにはいかない。
無事、目的地に着陸する。
それが、当たり前。
バンドさんは、場所を予約した以上、ライブも、やれて当たり前。
スタッフサイドは、そのライブを、滞りなく終了する、これに勝る目的はない。
その観点から言うと、数えきれないくらいのライブイベントを、開催そして終了できたことは、誇りにも思うし、感謝の念にたえないし、『よく、やったな~』って思う。
ほんと、よくやったな~って思う。
マジで。
ようするに、飛んだ飛行機は、一度も落ちることなく、目的地にランディングしたんだ。
うれしい・・・。
















いいライブであったか?そうでなかったか?ってのは、バンドさんとお客さんの関係が、ほとんどだと思う。
PROJECT of PASSPORTとしては、絶対足を引っ張っちゃいかん。
応援をしなきゃいかん。
バンドさんとも、人間関係を築き、気持ちよくステージに立ってもらわなければならない。
『無事ライブが開催され、滞りなく終了すること』が、メインだけど、協力できるとこはもちろん協力する。
でも、稀に、わけのわかんない持論を押し付けてきて、わがままほうだいの奴もいる。
そおゆう人には、勇気をもって、NOをつきつける。
稀だけどね、すごく。
そんなスタンスかな?
うん、こんな感じだと思う・・・・。













PROJECT of PASSPORTにおいて、ライブを成立するってのは、第一目標ではあるけど、俺はこんな風にも考えた。
『学校で言うところの放課後的場所』




みんな、仕事や、様々な役割(組織の中での役とか)、家庭、などなど、果たさなくてはならない責任の中で日々生きている。
責任は甘くないし、放棄すれば、無責任者のレッテルが貼られる。
まったくやっかいな代物だ。
そんな日常の中で、この場所に集まり、いろんな人たちが出会い、コミュニケーションを持ち、共感し、携帯を交換する。
テーマはなんでもいい。
別に音楽にこだわる必要はない。
自由だ。
「へえ~、海釣りするの?俺もやるんだけど、こんど一緒に行かない?」でもいい。
「合コンあるんだけど、一人足りないんだ、君も来ない?」でもいい。
男と女が出会い恋に落ちるなんて、最高だし、バイクツーリングチームが立ち上がるきっかけが生まれるのもいい。
つまりは、年齢や、社会的地位を度返しして、この場所で様々な人が出会い、何か(something)
が、生まれれば、この場所の意義は大きい。
と、そんな風に考えていました。
とりあえず授業が終わった後の放課後・・・。
学ランのボタンはずして、タバコふかして、テイラースイフトなんか流しながら、「なんかさ、面白いことねえかな?・・」と、言えるような空気感。
リラックスの中で、未来につながる何かを感じたり、少しの希望がみえたりする空間。
そんな場所・・・。
こんな感じになれば、ベストかな?なんて、思ってた。











実際、PASSPORTで出会って、生まれたバンドもあるし(いくつかあるんじゃないかな?)、ギターの嶋田あっつくんと、スタッフのちさきちゃんは結婚したし、フットサルチームDANFCは立ち上がったし・・・。
よかったです。
うれしい・・・・。
ほんとに、うれしい・・・・。












さて、PROJECT of PASSPORTが、どのように立ち上がっていったのかを書きます。
記憶のかけらをかき集めて、このブログを見直しながら、神経を集中して、バックトウザ2007年へ・・・・。










思い起こせば、8年前。
季節は秋かな?
こんな風にして、立上って行きました・・・・。
















「PASSPORTでライブを企画運営してほしい。自分がトップとなって好きにやってもらえばいい。この空間、設備、環境を使って、ライブハウスとして定着させてほしい・・・」
と、マスターは俺に言った。
正確には、もっといろいろな言葉を散りばめ、話題があっちこっちに飛び、それに対して俺が対応するという形ではあったけれど、要約すると、上記のような依頼だった。
依頼?
そうだな、依頼って言葉が妥当のような気がする。
お願い・・・じゃ、情けない感じだし、命令じゃ、「ざけんなよ・・」と、俺は切れただろうし・・・。
この場所で、ライブを企画運営してほしいという、依頼があったわけです。
















2007年秋。
俺は45歳(ここで、17歳って言えれば、青春っぽいけど、残念ながら事実は45歳)。
ラジオから、大塚愛の『スマイリー』が、流れてた、そんな頃。
ちょうどその頃、復活したホールイベント『ショルダートゥショルダー』に参加のため、練習している真っ最中だったかな?
年末に行う予定の、ビートルーズライブの予約をパスポートにとりに行った時、マスターに声をかけられたわけです。
「なるほど、考えさせてください」
と、俺は、いったん保留する。
だって、こう言っちゃなんだけど、信用できる人なのか?
ただの奴隷として、こき使われるだけじゃないのか?
多大なる責任を押し付けられ、「ほら、お前の責任だから、100万払えよ・・・」と、無理難題を押し付けられやしないか?
などなど。
多くの人がそうであるように、俺も基本的には『疑い』ます。
「考えさせてください」・・・・ほんと、いい言葉だね。
人生において、様々な決断を迫られたとき、ワンクッション置くという行為、大切なことだと俺は思うよ・・・・。















さて、考えたわけです。
いろいろ考えたわけです。
想像したわけです。
リスク、そしてメリットを・・・。
でも結局、とどのつまりが・・・やりたかった、のでしょう。
メリットを考えた場合に、その時々のライブの責任は負うにしても、店全体の経営者は、マスターでありママさんなんだから、やばくなったら逃げちゃう、というメリットがある。
これは、でかい。
リスクもたくさんある。
「毎週土曜日は、なにかしらのイベントを入れるように」
おいおい、である。
ってことは、俺の土曜日は基本的になくなるわけ?
う~ん、である。
しかし、なんだかんだ言いながらも、『やりたかった』のです。
17歳の少年がSEXをやりたいように、俺も、この場所で、ライブイベント企画をやりたかったのです。
猿のセンヅリのように・・・・やりたかったのです。
最終的には・・・・本能ってことですかね?

















「元気?・・・」と、栃本なおくんに電話しましたよ。
だって、一人じゃできない。
かと言って、変な奴と組むわけにもいかない。
企画を立ち上げようとしたときに、理想だけを雄弁に語って、実際はなにもしない輩(やから)を、俺は何人も見てきました。
いませんか?そおゆう奴ら。
実際に戦場には行かずに、暖かいソファーの上で、個人的理論だけを口にするやつら。
俺は、そんな奴らが嫌いです。
なお氏は、一緒に、どぶ川に手を突っ込んでくれる人・・・、と、俺はふんだわけです。
実際、どぶ川はおろか、肥溜めにだって、手を突っ込んでくれました。
君なくして、俺は、この企画のを立ち上げる勇気はなかった。
ありがとう・・・。
MODSの『トゥーパンクス』って曲、このころよく聞いてたな・・・・。
♪うつろな街に風が吹き付ける・・・ってやつね。





















2008年
知り合いのバンドさんたちに、とりあえず宣伝しました。
「ライブをやって、よろしく」と。
知っているバンド名を、紙に書き出してみた。
足りない・・・。
なぜか?
だって、毎週土曜日ライブ企画が入れれるほどの数が絶対的に足りない。
どう考えても、足りない。
無理です。
「毎週は無理です」と、言いたかったけど・・・。
出した結論は、「やれるとこまで、やってみよう」ってこと。
『実績を作ってから、言いたいことを言おう』って考えていた。
実績・・・・まあ、カッコよく言えばだけどね。
それに・・・やばくなったら逃げちゃえばいいんだし・・・・。
そんな感じで、2008年は始まったわけです。











1月の寒い夜、パスポートで打ち合わせを終えた帰り道、国分寺通りで歌うツバメ(ひでき&さとし)に出会う。
凍えるような寒い夜、息も白く、手もかじかむような、真冬の夜でした。
速攻で声をかける。
もう、なりふりかまわず、ナンパっすよ。
「パスポートって場所で歌ってみませんか?」と。
携帯を交換して、別れたわけだけど、「お願い!付き合って・・」と、強く念じたものです。
のちに彼らは、「…実はあの時、裏がある、と、疑っていました・・」と、言ってました。
そりゃそうだよね。












同じ頃、朝日町界隈で、かがえとおるくんとバッタリ・・。
彼とは、ユニオンロッカーズのサポートとか、サッカーで、一応の面識があった程度だったかな?
もう、ナンパすよ。
「ねえねえ、今、バンドとかやってるの?」と聞くと、
「ちょうど、カリアゲハンサムボーイ、という、バンドを立ち上げたところなんですよ」とのこと。
ラッキーと、思い、「じつはさ、パスポートで・・・・・・・・・」と、懇願。
その後、とおるくんとも、ほんと、つるむようになる。
フットサルにしても、エレキ一発にしてもね。
縁を感じるよ。










この頃、いろんな人達と、番号交換もしたな。
もう、なりふりかまわず。
でも、覚えてないわけですよ。
例えば、山田くん、と、登録した番号でも、『誰だったっけ?』となる。
だから、『山田くん クリアウオーター』みたいにしておくわけです。
ちなみに、ワニタロー君は『スリーピース タロー君』ってはいっているし、ベースのとく(アームレスリングチャンピオンでもある)、は、『アーマーピアスのとく』と入っています。
わかる人はわかると思うけど、時代を感じるよね・・・・・。









まあ、そんな感じで突入していったわけです。
あてのない航海の旅は始まったわけです。
プライベートな土曜日は消えていったのです。
すべての土曜日を埋めるというミッションに一応挑戦したわけです。







で、どうだったか?










その年の夏まではやったような気がします。
でも、『もう無理です』と、お伝えしましたよ。
すると、『わかりました。できる限りでいいですよ…』的な言葉をいただいたような記憶がある。
ホッとしましたね。
だって無理だよ、そんなのさ。









こうして、ノルマという課せられた十字架を消し去り、航海は続いていったわけです・・・・・・。





続く・・・
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Posted by PSPスタッフ at 22:00│Comments(0)
 
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