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2008年10月14日

1974,10,14 長嶋引退試合



1974年、昭和49年、10月14日は今でも覚えている。
俺らがたぶん最後の長嶋世代だろう。

俺は小学校6年生、少年野球も終わり、しかたがないんで、暇な奴集めて草野球の日々。
野球がすべて・・・・とは言わないまでも、7~8割占めていた。
ベースボウルなんてオシャレなもんじゃない、野球。
中学行っても「絶対野球!」って心に誓い、あわよくば「甲子園」、夢はでっかく「プロ」とか、もっと言えば「ジャイアンツで4番でサード」なんて、無謀な想像して一人ニヤニヤしてたあの頃

想像大好きだったからね、まあ、今もだけど。

その日は平日で学校があり、放課後と同時にまっすぐ帰宅。
テレビON.
長嶋引退試合。
相手は中日ドラゴンズ
「4番サード長嶋」のアナウンス。
沸き起こる大声援。
最後の打席は、ダブルプレー
一塁を駆け抜けた長嶋は、笑っていた・・・。

なぜ、長嶋が好きになったのか?が、うまく説明ができない。
とにかくその頃は、「ジャイアンツ」は優勝して当たり前。
みんなジャイアンツが好きで、その中で「王」派と「長嶋」派に別れていた。
俺は、黙々とホームランを量産する王選手よりも、体勢を崩しながらセンター前ヒットを打つ長嶋選手に惹かれた。


よくあるパターンが、一塁に柴田か高田がいてバッター王。
相手ピッチャーは、王敬遠で長嶋と勝負
この時の長嶋の、「へえ~、あっそう、やってやろうじゃん」という表情が、すごく伝わってきて、小学坊主のハートをかきむしったんだろう。
我が家もカラーテレビになり(結構遅かった)、長嶋の耳たぶが赤くなるのがわかったよ。


王が、ゆっくりと堂々と落ち着いているのに対して、長嶋はバッターボックスでも落ち着きがなく、よく動く。
人間味が感じられる。


長嶋の引退試合を見てから、夕飯まで俺「すぶり」してたよ。
「ピッチャー一球目投げました!打った!鮮やかに三遊間!レフト前ヒット!2塁走者三塁を回った!回った!ボールがかえってくる、タッチ、セーフ!・・・」などと、解説つきで
お袋が後ろ立ってて「お前、なにやってんだ?」って、言われたりね。


その後、ビートルズのせいで、熱はバンドとか音楽にかたむいたけど、野球も好きでした。


しかし、長嶋ほど夢中になれる選手は、その後いない・・・・。


1974年10月14日は、今日みたいに「冷たい雨」の日じゃなく、おだやかに晴れた一日だったと記憶している。


NEXTLIVE
26日(日)20:00~ THREE☆PEACE、CLEAR WATER,パクリSP

BYナリハラ







  
Posted by PSPスタッフ at 11:42Comments(0)