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2011年09月15日
人が変わる瞬間

♪・・・変わったね、人が変わる、あの嫌な瞬間に、僕はまた、君で味わうのかい?・・・(BYエコーズ、ディアフレンズ)
人は変わる。
早い話が、もう高校生じゃない。
体重だって増えるだろうし、白髪だって生える。
少年なんてフレーズは、遠い過去のお話。
家庭という名の重荷を背負い、責任をどう果たしていくのか?ってことで、頭の中はいっぱいになる。
不安、葛藤、少しの安心、わずかなお金。
そんなものに、振り回され、疲れ果てていくのは当然だ。
「最近はどうだい?」
「大変だよ、今日も明日も明後日もな・・」
そう言って、笑う友達の横顔には、変わらなくちゃ、生きてゆけない現実ってのが、映し出されていて、ある意味哀愁さえ漂う。
『俺達も、そおゆう世代なんだ・・』
と、心の中で想い、キリンビールを友達のグラスに注ぐ。
こおゆう変わり方はいい。
仕方がない事なんだ。
ある意味、家族のために、自分のポリシーや夢を封印し、本意ではないけど、社会の歯車って奴になるのは、『男』だと思う。
例えば、売れない絵を書く画家で、自分の夢のために生きて、家にお金を持ってこない父親と、〇〇会社に馬鹿にされながら勤めているけど、ちゃんと給料は持ってくる父親と、家族はどっちがいい?って話だ。
しかし、いや~な変わり方をする友達もいる。
いませんか?
昔は、謙虚で素直でいい奴で、立っているおばあちゃんに「どうぞ」と、何のためらいもなく席を譲れる少年。
目立たないけど、みんな彼のことが好きで、「お前、いいな~」と言うと、「そんなことないよ・・」と、ひたすらてれる少年。
そんな奴だった。
やがて、大人になり、彼は東京で仕事を一発当て、エグゼクティブな男に変身してしまう。
みんなが集まる同窓会で、その豹変した姿を露呈してしまう。
「・・・なんだい?この酒よ・・・お前ら、こんなん飲んでんの?しっかたねえな~、銀座連れてってやるよ。座って20万のとこ、ドンペリ飲ましてやるよ。お前らに、味わかんないだろうけどさ・・・」
「・・・お前らよ、人生勝たなきゃいけね~んだよ。わかるか?スポットライトに照らされてこそ、生きたと言えるんだ。わかるか?お前ら・・・」
「・・・バンド?、お前まだそんなガキの遊びやってるのか?笑っちまうぜ、まったく。今の遊びって言えば、クルーザーで船上パーティーだろ?まぶい、女、5,6人乗せてな。遊びってものを知らねえな、お前・・・」と、こんな感じだ。
アルマーニの下の、腹の肉が揺れ、ロレックスがブクブクの腕に食い込む。
テレビで見たことのある、醜い大金持ちに成り上がった・・・いや、成り下がってしまった。
「お前、すごいな?」
と言うと、「当たり前のこと聞くな!ガハハハ・・」と、笑った。
もう、「そんなことないよ・・」と、照れる少年ではなかった。
♪・・・変わったね、人が変わる、あの嫌な瞬間に、僕はまた、君で味わうのかい?・・・(BYエコーズ、ディアフレンズ)
こおゆう場面には、立ちあいたくないね。
成功やお金、地位や名誉、それらを手にした時、人は変わるんだろうか?
それらを手に入れても、基本的な心は変わらない、って人が、真の成功者かもしれないな・・・。
BYナリハラ
Posted by PSPスタッフ at
10:58
│Comments(2)
2011年09月13日
されど・・・サングラス


されど、サングラスである。
有名人で、サングラスをかけている人・・・いやいや、サングラスがイメージの一部になっている人、と、言えば・・・。
EXILE ATSUSHI,タモリ、浜田省吾、鈴木雅之・・・ここら辺の人達は、サングラスを取らない。
活動する時は、常にサングラス。
タモリなんか、ず~とだからね。
もし、プライベートで、タモリに会っても、絶対にわからないだろうな。
芸能活動をする上においては、サングラスで目を隠すって、いい選択だと思うよ。
プライベートで、いちいち、ばれたくないからね。
今は、そうでもないけど、ダウンタウンブギブギバンド時代の宇崎竜童も、サングラスブレイクだし、あぶない刑事の、舘ひろし&柴田恭平も、絶対サングラスイメージだね。
しかし、かっこよかったね~、あぶ刑事の二人。
頭を固めて、イタリアンスーツにサングラス。
まあ、ベタと言えばベタだけど、あの二人に勝るかっこいいチームって・・・あるかな?
話は、変わるけど、サングラス
ミートザファーストサングラスは、マッカーサーじゃないだろうか?
日本の土を踏む時のサングラス姿は、『威圧』と『脅威』と『恐怖』の象徴っぽく映ったことだろう。
だから、日本では、なにかしらダーティーなイメージが定着したのだろうか?
その後日本では、太陽族がアロハシャツにサングラスを、見事に定着させたね。
トップは、カリスマ石原裕次郎だった。
時代は流れて、ロックミュージックが流れ出すと、ミュージシャンもオーディアンスも、サングラスかけてポーズを作った。
ロックには欠かせない、アイテムのひとつだ。
なんか、雰囲気出るし、緊張でこわばった目を隠せるし、プレイ中、横目でまぶい女を見ていてもばれないし。
少しだけ自分が強くなったような気もするし。
なんとなく、悪い人的イメージも、かもちだすしね。
されど、サングラスです。
個人的には、ブルーかかったレンズの、比較的シャープなサングラスを探していますが、なかなかない。
もちろん、安いやつで・・・。
1000円大歓迎。
ビーチボーイズで、反町君がかけてたようなやつ。
今、ないんだよな、ああゆうの。
老眼になったら、サングラス風にしますよ、絶対。
できるのかな?
BYナリハラ
Posted by PSPスタッフ at
10:04
│Comments(2)
2011年09月09日
ストリートファイトのルール

だいたいにおいて、ケンカにルールがあるのか?ってことなんだけど・・・・。
小さい頃は、あったように思う・・・。
相手が泣いたらやめるとか、『まいった』って言えばやめるとか、目を狙わないとか、そんな程度の『暗黙の了解』があったような気がする。
だから、やったしやられたし、ケンカも人生において有だ・・と、小さい頃は思っていた。
ところが、いつからだろうか?
けんかが、陰湿に、残酷に、無残に、なっていったのは・・・・。
一人の、気に入らない奴を、囲んで、殴る蹴るならまだいい。
裸にして、写メとって、ネットUPしたり、トイレの便器舐めさせたりクソ食わしたり、現金とって乗ってた車の窓ガラス割ったり、ナイフでペニス切ったり。
これは、ケンカじゃないね。
暴行犯罪だね。
これは、犯罪だぞ。
いいか、決して、自慢できるもんじゃないぞ。
驚くことに、俺でさえ、今だに、3年に1回くらい、いちゃもんをつけられる。
よくあるのが、肩が当たったとか、こっちみて笑ったとか、そんな程度のことで、「なんや、おめ~・・」と、相手がくる。
その時は、「あ~、ごめんごめん・・」と、言えば、だいたいは終わる。
こいつは、どう見ても、弱そうな酔っ払いのじじいに、からまれても、「あ~、ごめんごめん・・」だ。
相手が強い弱いじゃなく、ようは、「めんどくせーことに、かかわりたくない」って、ことだ。
そして、怖いしね。
普通に考えて、殴られ蹴られするのは、怖いよな。
痛いしさ。
もし、相手が弱くて、殴れたとしても、後日、「訴えますよ・・」なんて、言われたら、「嫌だな~」である。
まずは、「あ~、ごめんごめん・・」だ。
理想論ですが、ストリートファイトにルールがあるならば・・・。
1対1であること。
ナイフや鎖をはじめとする、武器はNG.
「まいった」と、相手が言った時点で、終了する。
できれば、レフリーがいて、相手が「まいった」と言わなくても、明らかに危ない状態ならば、TKOでけんかを止める。
最後は、握手なんかすると、最高だけど・・・まあ、ここまでは無理だな・・・。
握手は無理としても、勝ったほうは、相手のプライドは傷つけない。
相手の顔に右足のせて、記念写真なんか撮らない。
やられたほうも、「傷をおわされました・・」とか言って、警察にたれこまない。
と、こんな、ルールが存在しているならば、ストリートファイトを、やるのもおもしろい。
男は、祖先から受け継いできた、闘争本能や狩猟本能ってのがあるから、ケンカ好きなんだと思う。
これは、女にはわかんないだろうな・・・。
まあ、理想であり空想なんで、まずは、ケンカは回避しましょう。
今、ほんと、モラルもクソも、なくなっているから、へったすりゃ、けつの穴までやられちまうぜ・・・。
やっぱ、理想は、昭和30年代40年代の、番長同士の河原の決闘、みたいなのが理想かな・・・・。
BYナリハラ
Posted by PSPスタッフ at
11:02
│Comments(0)
2011年09月07日
ライブハウスBUDSの残骸
いくつもの建物や、道路や公園、信号機、アスファルト、看板、ポスター・・・・。
そんなもので、街はできている。
♪街の風景(尾崎豊)みたいに。
そして、街の風景は、一定ではない。
時代とともに変化する。
いくつものビルは解体され、道路は拡張され、1990年代のポスターは剥がされる。
道行く人の姿も、変化する。
ハイウエストからローライズに、バブルメイクからナチュラルメイクに、シャギーから巻き髪に・・・・。
会議室で決められた『流行』ってやつに、踊らされ、金をぶっこみ、『俺は、遅れていないか?』と心配になり、常にアンテナをシャープに、シャープに・・・。
街も人も変わってゆく。
1980年代を缶詰に、1990年代をレトルトに、2000年代をデリバリーにしながら、時代は動き街並みは変化する。
昔の風景は、思い出という名の、セピアカラー写真になってゆく・・・。
みなさん、BUDSを覚えていますか?
石浦町のR41沿いの建物。
1990年代中期から2000年代初頭にかけて、この町に存在したライブハウスだ。
BUDS終了後、『ビレッジバンガード』が、その建物を受け継いだ。
30代、40代、50代、のバンドマンの方々は、あの頃の思い出が、多かれ少なかれあるんじゃないかな?
俺も、いっぱいあります。
1990年代に組んでいた自分のバンドのライブ、他のライブを見に、BUDSに通ったあの頃。
そうそう、日韓ワールドカップ日本対ロシアの、スポーツバー。
2000年12月8日、ジョンレノン追悼20周年イベントも、ここでやったっけ・・・。
BUDSというライブハウスは、見事なまでに洗練されていた。
全体的に、黒ちゃけた木材でできていて、写真でもわかるように、天井部分にアメ車が置いてあって、ビンボール、スロット、バドワイザーやコカコーラの看板が掲げてあって、なんて言うんだろ?アメリカングラフティー的内装かな。
同じ木材を使うにしても、『桐』とか使うと、演歌になっちゃうでしょ?
しっかりとした、ポリシーの元、作られた空間だと思った。
BUDSの後期、この場所を仕切った、下手さだきち氏はよくやったと思うよ。
誰かが、ほこりかぶらないとね・・・。
お別れパーティーで、彼に、愛染恭子のヘアヌード写真集をプレゼントしたっけな?
覚えているかい?
BUDSだった建物が、取り壊され、次にどうなってゆくのか?
住宅になろうと、駐車場になろうと、ファミレスになろうと、俺は覚えていよう。
60歳くらいになった時、少年に言おう。
「・・・この場所に、ライブハウスがあったんだぜ・・・」と。
さよなら、いかしたライブハウスBUDS。
90年代ライブシーンを支えた功績は、色褪せはしないぜ・・・。
BYナリハラ
Posted by PSPスタッフ at
11:21
│Comments(10)
2011年09月05日
DAN FC 始動
しかし、まあ、体痛いですよ~。
久しぶりに、久しぶりに・・・・、スポーツをやったわけですが、これほどまでに、走れない自分に、「こんなはずでは?・・」とゆう、思いです。必死ですよ、もう。
水、1リットル飲みましたよ。
帰って、ビール2本飲みましたよ。
でも、ほんと、スポーツは、あなどれない。
次は、ちゃんと、走れるように、準備しますよ。
さて、この、DAN FC というフットサルチーム。
楽器のDANの大下さんが仕切ってるかと、思いきや、リーダーは、とおる君(カリアゲハンサムボーイ)です。
大下さんが、とおるくんに、話を振り、音楽をやってる人に声をかけ、そして昨日、始動となったわけです。
ほんと、声をかけてもらって、感謝しますよ、サンキュね。
こんなことでもない限り、真剣に必死に走るなんてことは、ね~んじゃないかと思うし。
非常に、ストイックな夜でした。
人間の頭の中でのイメージと、実際の行動力とのギャップってのが、あるんですよね。
「こんなはずじゃない、もっと、前に走れるはずだ・・・」と、思っても、足がついていかない。
幼稚園の運動会の、お父さんリレーで、第3コーナーあたりで、みじめにコケまくっているお父さんを見かけませんか?
けっきょく、それも、イメージ先行なんですよね。
「俺は、ボルトだ!カールルイスだ!」と、思って走ると、体がついていかないから、第3コーナーで笑いものになる。
そう、考えると、まず、体を作って、イメージを落とす。
そうすれば、バランスはとれるよな。
はじめっから、「俺は、ジェラードだ・・」なんて、思わずに、謙虚に謙虚に・・・・。
ね。
けど、すごく、楽しかったです。
疲れたり、えらかったりするのが、楽しいんですよ・・・。
スポーツ的、マゾですね。
基本は、俺、Sなんですけど、まあ、いいんですけど・・・。
次回も、燃え尽きましょう!
BYナリハラ
Posted by PSPスタッフ at
10:55
│Comments(3)