カップヌードル1971
とにかく、
登場のしかたがおしゃれだったね。
「はい、お待たせしました!
インスタントラーメンではありません。
鍋もどんぶりも要りません。熱湯を注いで3分間待ってください。はいOK。よ~くかき回して、食べましょう。ちょっと待って、
箸で食べるんじゃなくて・・・・プラスティックフォークで、いただきましょう。そうそう、これの名前は、
カップヌードル・・・・・」
1971年、昭和46年。グループサウンズブームは去り、フォークソングがじわりと、きていた。
「俺は男だ!」と、森田健作は叫び、「
恋の奴隷」で奥村チヨが、マゾヒスティックに歌った。
木枯らし紋次郎は、世間との関係を絶った「
あっしには、かかわりあいのねえことで・・」。
学生たちはヘルメットをかぶり、
日本政府の矛盾点を唱えた。
「
なぜ、アメリカを支持するのだ!無意味なベトナム戦争をしているというのに!・・・」
みたいなね。
子供たちは、走り回っていた。
缶けり、草野球、ドッチボール、手つなぎ鬼、プロレスごっこ、デープなところでは、スカートめくり、乳もみ・・・・ごめんなさい。
その頃の、B級いやC級グルメの定番が、
インスタントラーメンだ。
腹へりゃ、自分で作って食べる。
どんぶりに移さず、鍋のまま、食べる。
金のない家庭では、「今夜は、インスタントラーメンだからね」なんてことも、たたあった。
ハングリーな人々の典型的象徴食品、インスタントラーメン。
貧乏くせーたら、ありゃしねえ。
大学生は、ハンテン着て、髪も髭も伸ばし放題で、風呂にも行かず、
ラーメンの残り汁でハイライトをもみ消し、洗いかたずけもしない。きったね~感じ。
こんなんじゃ、恋人だってできやしない。
ラーメン食って、せんずりこくのが、毎日の日課みたいなもの。
それが、
インスタントラーメンライフ1971だった。
ところが、カップヌードル登場により、状況が若干ではあるが好転する。
真冬に春の日差しが差すように、だ。
カップヌードルをって、しょせんラーメンなんだけど、ネーミングと、食べる手法と、洗練されたコマーシャルによって、インスタントラーメンライフは変わって行った。
「今夜は、君と一緒にカップヌードル食べようかな?」
「カップヌードル・・だけなの?・・」
みたいな、感じ。
おっしゃれ~な感じ。
俺も、子供の頃、本町通で、
ジーンズに長髪のお兄ちゃんたちが、地面に座り込んで、カップヌードル食べてるところ見たときに、「
なんか、かこいい」と、思ったもの。
イメージってのはすごいね。
日清食品の、イメージ戦略は、1971年には、当たったってわけだ。
最近は、めっきり食わなくなったけど、個人的には「
シーフードヌードル」かな。
カップヌードルはその後、1980年代、CMでアーティストとタイアップ。
ハウンドドック「フォルテシモ」・・・あいがすべてさ、いまこそちかうよ~。
中村あゆみ「翼の折れたエンジェル」・・・シックスティーン始めてのキス、セブンティーンはじめての朝~、少しずつため息覚えたエイティーン~。
など、ヤングジェネレーションを中心に、インパクトを与える。
味がどうの、満足感がどうの、ではなく、『愛がすべて』である。
日清食品の、恐ろしいまでのスポイルだった。
インスタントラーメンじゃなくてカップヌードル。
小学校3年生の俺は、両親にお願いした。
「ねえ、カップヌードルが食いたい」と。
「なに?カップ?ヌード?・・・お前、なんか、やらしいこと考えてるんじゃないのか!?」
と、意味もなく、怒られたことを思い出す。
お父さんお母さん、子供を信じろよ。
ちゃんと、
やらしいことだって、徐々に考えていくから・・・・。
BYナリハラ