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2016年03月31日

ラストあとがき

俺は、この企画が、どのようにして終わっていくのか?
途中でわからなくなっていた。
永遠なのか?なんて、ことも頭をよぎった。
たぶん、俺のほうから、『すいませんが、やめさせてください』と、言うのだろうな?なんて、考えていたのかな?
とにかく、どんな出口があるのか、わからなかった。


でも、ちゃんと、最後はやってくるのです。



2年前くらいに、初めてママさんより、『パスポートを閉めるつもりなんですよ』と、お言葉をいただいたと思います。
『それは、いつごろになりそうですか?』との問いかけに、『たぶん、年内には・・』との回答。
しかし、年末になっても、店を続ける。
たぶん、『よし、ここでやめよう』という、踏ん切りが、難しかったと思う。



実に、昭和52年開業ってことは、ざっと、38年間、ママさんは、パスポートの急な階段を上り下りしたことになる。
これは、すごい事だ。
38年間・・・・・・22歳の若者が、就職をして、60歳で定年を迎えるということだ。
これはもう、店をたたむ、というよりも、立派な定年退職に等しいと思うよ。
つまり、マスターもママさんも、立派に、勤め上げたのです。



各年代の人達が、この場所に集い、笑い、時には演奏し、そのサポートを立派に果たしたのです。
俺が、かかわらせていただいたのは、たかが8年です。
しかし、残りの30年を、マスターとママさんは、知恵を絞り、様々な手法を凝らして、この場所を維持管理してきたのでしょう。
お疲れ様でした。
感謝しています。
良い、思い出の数々、忘れることはないでしょう。







さて、今後の ライブの場所、についてですが、正直わかりません。
けど、今までの歴史を考えた場合、きっと、誰かが何かをやるでしょう。
誰かが何かを・・・・・・。
ライブハウスが、なかった時は、文化会館、地場産業センター5F、だったし、BUDSは石浦町にできたし、ディスコドラゴンはクラブとライブの融合スペースだったし、スペースJは広かったしね・・・・。
2005年には、俺も、『ストロベリーフィールズ』という場所を立ち上げ、四方八方からの苦情で7か月で撤退したりね・・・。






そうそう、ストロベリーフィールズ・・・・。
通称、ストフィー。
俺は、ここの経験があったから、PROJECT of PASSPORTの時も、怖かったのです。
再び、あの、胃が痛い日々がやってくるのだろうか?
俺の携帯が、鳴り、文句を言われ続けるのだろうか?
『訴えてやるからな!』と、脅されるのだろうか?
うまく眠れない日々が続くのだろうか?
など。
怖かったのです。
俺は、ストロベリーフィールズを締めた後、音楽すら、うまく聞くことができませんでした。
ようは、その傷が癒えたころ、パスポートの話をもらったわけです。



もし、この、パスポート企画を受けて、また、前と同じように、撤退したとしたら?
俺は、自分の人生に自信が持てなくなっていたことでしょう。
だから、すごく、今、最後まで、やりとげたんだな~って、思って、うれしいのです。
リベンジって言葉は、妥当じゃないと思うけど、あの時の屈辱を晴らせた思いです。
ストロベリーフィールズでの出来事にも、普通に思い起こせるようになったのです。
もちろん、嫌な奴らもたくさんいました。
それも、ひっくるめて、思い出として、経験として、思い返せるようになったのです。





前にも、書きましたけど、俺は、スタッフをはじめ、かかわってくれた人間に恵まれたのです。
声を上げて、旗を振るだけの、かいしょうなしの俺を、支えてくれてありがとうございました。
本来なら、映画のエンドロールみたいに、総出演者の名前をスクリーンに表示したいくらいです。
みんなで、作り上げた、場所だったのです。
そして俺は、みなさんに会うことができて、幸せでした。
俺は、いろいろな人達と出会いたかったのです。



寂しいか?悲しいか?実感はありません。
たぶん、1ヶ月2ヶ月たったあたりに、なんらかの感情がこみ上げるのではないか?
そう、思います。



明日から4月、新年度です。
春です。
別れの3月、出会いの4月です。
今日を持って、PROJECT of PASSPORTを卒業します。
長い間、お世話になりました。
さよなら。


by nartihara


  
Posted by PSPスタッフ at 01:00Comments(1)

2016年03月30日

続:あとがき

PROJECT of PASSPORT、3年が過ぎたあたりかな?
うん、そのころから、俺は、誰かに俺のポジションを、バトンタッチできないかな?と、考え始めたわけです。
理由は簡単で、けっこう、疲れていたんですよ。
土台は作ったから、あとは、そのままやるのもいいし、自分なりのアレンジをくわえてもいいし、ようは、責任を持って、運営してくれるTOPの人、を探したわけです。
名前は伏せますが、何人かに、システムの話をして、「どうかな?」って、問いかけたと思います。
でも、答えはNOでした。
いいんです。
無理もありません。
現状の生活スタイルの中に、ひとつの『責任』をしょい込むわけですから、無理もないのです。
話とか、俺の想いとか、聞いてくれて、ありがとうね。









まだまだ、ゴールなき旅は続いていくのでした。















2009年の11月中旬から年末にかけて、イベント盛りだくさんで、ここら辺の記憶がすごくある。
だって、半端なかったもん。
ライブタイトルだけ紹介すると・・・。
11月14日(土)酒と女はにごうまで
   28日(土)ROCK ONLY
   29日(日)今夜はブラスシャッフル
12月4日(金)ビートルズナイト初日
    5日(土)ビートルズナイト2日目
    12日(土)歳末大感謝祭(念のため・・・ライブですよ)
    19日(土)ROOTS REGGAE
    29日 (木)2009パスポートファイナルライブ
とまあ、こんな感じでした。
俺は、個人的に、『死のロード』と、呼んでいました。
打ち合わせ、チケットフライヤー作成配布、そしてライブ、打ち上げしてから、ブログのアップ、翌日のかたづけ、その繰り返し。
個人的には、(みなさんもそうでしょうけど)年末って仕事も忙しくなるし、忘年会も入るし、年賀状やクリスマスもあったりして、アップアップ・・・。
だから、11月中旬より、『どうか、風邪をひかないように、死のロードを無事終えますように・・』と、祈ったものです。
そして、無事終わって、パスポートの外に出たとき、全身の力が抜ける感じがしました。
「やった~」って、感じです。
外は、粉雪が舞っていて、行きかう人も多かった。
年末だからね。
それからどうしたのだろうか?
飲みに行ったのかな?
そのまま帰ったのかな?
そこら辺の記憶がないんだよな~、でも、粉雪はしんしんと降っていました・・・・・。
それだけは、覚えてる。
















このブログに関して・・・。






このPROJECT of PASSPORTというブログに関して、書いてて良かったと思う。
やっぱり、ライブの宣伝(フライヤー貼ったり)、そのライブがどうだったのか?というライブレポートは、いろんな意味で歴史を作っていくというか・・・。
ライブが決まり、フライヤー&チケットを作り、どう宣伝するか?
いろんな方々の目に晒すか?
80年代だったら、街角に許可をもらって、フライヤーやライブポスターを貼ったものです。
が、インターネットの世界で発信することにより、街角に貼る手間が省け、このブログを見れば、どんなイベントがあるのか?すぐわかるという、利便性に富んだやり方だったね。
フライヤーをブログに貼っちゃえばいいのだから。
しかし、若干の問題点が・・・。
ライブ宣伝だけでいいのか?って話でさ、「いついつ、こおゆうライブイベントありますよ・・」だけで、いいのか?
まあ、いいんでしょうけど、テレビドラマでも、CMでスポンサー契約している企業の宣伝するわけでしょ?
車とか、電化製品とか。
で、このブログも、記事があって、CMとして、ライブフライヤーを載せるってのがいいんじゃないかな?なんて、思って、記事を書き始めたわけです。
まあ、手当たり次第、音楽はもとより、映画、事件、政治、エロ話、などなど。
ネタが切れれば、小説っぽく?頭の中にあるストーリーを書きなぐったりして。
それは、楽しい作業でもありました。
よくもまあ、これほどの言葉が出るもんだぜ、と、我ながら感心したこともありました。
「ブログ見てますよ」って、言葉もいくつかいただきました。
俺自身、調子こいて、適当に書いてた感じです。
「もう、何も出ない・・・」と、感じても、パソコンの前で、キーボード打つと、なにかしら出てくるから不思議でした。
















ただ・・・・。
個人的な話になりますが、2013年11月かな?
なんといいましょうか、俺の奥さんの余命宣告を受けたんですよ。
「あと、1年・・・」みたいなね。
それから、何か、楽しい記事を書くということが、できなくなりました。








話はそれますが、奥さんの葬儀の時、パスポートの仲間が、たくさんお参りに来てくれて、感謝しています。
日々布団を被って、廃人のようにならなかったのは、PROJECT of PASSPORTの存在は大きかったと思います。
数々の慰めの言葉、今さらながら、ほんと、ありがとう。
当初は、つよがって、虚勢を張って(今だにそうだけど)、つっぱって(いまだにそうだけど)、その話になると、話題を変えたり、冗談でごまかしたりもしたけど、今は、若干クールなんで、感謝を。
ほんと、ありがとう・・・・・。












さて、このブログは終わるけど、いつか、どっかで、適当に、エロ話中心に、文章を綴ってみたいな・・・なんて思っています。















PROJECT of PASSPORTスタッフについて・・・・・。






俺の幸運は、かかわってくれた人間の素晴らしさにあると思うんだ。
彼、彼女らが、参加してくれて、責任を果たしてくれて、楽しく運営することができました。
俺なんて、ほんと、カイショウなしで、勢いと声のでかさ、だけの人間です。
あなたたちに、心より感謝しています。
ありがとう。









ボンちゃんは最高のやつです。昔、ホテルのバー勤務ってこともあり、ドリンクスペシャリストですよ。わけのわからないカクテルとか、「・・・ボンちゃんお願い・・・」と言って逃げる。彼は余裕。まわりを楽しい雰囲気にしてくれるのは、彼ならでは。なんて言うんだろ?彼には、幸せな人生を歩んでほしいし、その権利者だと思うね。








ちさきちゃんに声をかけたのは、彼女がお客さんで来ていた時。大いなる失恋(書いていいのか?まあ、いいか)の痛手の真っ最中だった時かな。彼女も、ほんと楽しんでやってくれたと思う。独身だった子が結婚するんだから、長い歴史ってことも言えるかな?もてたしね、彼女・・・・・深くは書かないけどさ。







レイラは、ほんとしっかりしてるよね。一生懸命にスタッフやってくれましたよ。なんていうんだろ?ライブフリークなのよ。よく知ってるっていうか。ライブに対する愛があるっていうかさ。シフトとしては、エトランゼ、サイレンジャー、クラウン、あたりのスタッフは、まず彼女に打診しました。友達だからね。心遣い、ありがとうね。








みさおちゃんは、3年くらい前にお願いしたんだっけ?旦那さん(しのぶくん)と、仲良くてさ?終わった後の飲み会で、ブチューってやってましたもんね。さすがすよ。基本、姉さん気質っていうのかな?気を使ってくれるしさ、。首輪に鎖のファッション感覚もグッドだしね。カラオケ行きたいね~。













音響の西倉君は、最後まで日本兵だった。
過激極まりない戦場で、任務を全うする軍人、第二次大戦下における日本帝国軍人は彼をおいて他にいない!
彼の、ライブ音響に対する責任感とか、追求心とか、神経集中度合とか、立派とした言いようがない。
『今東京じゃ、こおゆう音が流行ってんだ』とか『俺がやってやるから、ありがたいと思え』なんて言う、おごった考え方は彼の中にはない。
彼の頭の中にあるのは、『このバンドの音を、少しでもより良いものとして、パスポートで出したい』この1点だろう。
とかく慣れてくると、いい加減になる奴らがいる中、最後まで謙虚な姿勢を貫くあたり、立派としかいいようがない。
決して簡単なことじゃない。
炎のようなポリシーと、耐え抜くだけの精神力がないと、あのポジションを貫くことはできないと思うよ。
ありがとうね。
敬礼!










西倉くん、不在の時に、音響を担当してくれたのが、言わずと知れたコガイトくん。
このやろー、こがいと、台湾で女買いやがってこのやろ!と、まあ、同級生だからさ、ジョーダン的にね・・・・って、事実だから、そこらへんがさ、あれなんですけどね。
サンキューね、KOGAITO!









岡島くんにも、何回かやってもらったよね。
彼は本職だからさ、いろんな町のいろんなイベントに飛び回っていて、スケジュールがあった時は、快く引き受けてくれました。ありがとうね。














いろいろな思い出を綴ります・・・・。








PROJECT of PASSPORTのライブの中で、一番出演回数が多かったのは、間違えなく、マッコイ君だろうね。基本ドラムなんだけど、ベース参加とか、アコギ参加ってのもあったしね。「あれ?今夜もドラム君なの?」「そうなんすよ」みたいに、飯食ってマッコイ、クソしてマッコイみたいに、よーく会いましたよ。ありがとうね。


一番多くライブをやってくれたバンドは、これは正直調べたわけではなく、感なんですが、エトランゼじゃないかな?当初から、毎年、コンスタントにライブをおこなってくれました。時には、なぜか、『とびばこ』と、名前を変えたりしてね。真意はわかりませんが、とびばこ、だったのです。ありがとうね。


これも、聞かれたときに答えるのが、つまり、『・・・いままでで、一番印象に残っているライブは?・・・』との問いに、決まって答えるのが、『性器摩痛(せいきまつ)』かな。2010年11月の終わりかな?『聖飢魔II』のカバーなんだけど、衣装メイク、技術、ステージング、MC、の、どれもがベスト。その一回しかやらなかったってことでも、印象深いね。もしよかったら、このブログで探してみてください。



アクシデントってことでは、一回だけある。CAS+ と 零細JAZZ楽団 での、GROOVY WAVE というライブ。2008年5月終わり。ライブ終了と同時に、停電。ステージ上の照明を使った為の容量オーバーと、思うんだけど。ブレーカーの位置がわからない。ママさんもわからない。結局、タクシー乗り場のところにブレーカーがあったんだけど、真っ暗の中で、打ち上げができなくなって、場所を移ってもらったんですよね。ごめんなさい。不幸中の幸いは、ライブ終了時であったこと。これが、ライブ中だったら、ほんと、ごめんなさいです。それ以来、ステージ上部の照明は、要望があっても、お断りしました。唯一のアクシデントかな?これが。






そうそう、個人的にだけど、この場所がなかったら、サイレンジャーでベースを弾かしてもらうなんてのは、まあ、なかったと思いますよ。
『やりませんか?』と、ギターのりょうちゃんに、声をかけてもらって、『いいすよ』と、すげー軽く返事してから、俺の苦悩の日々は始まったのです。むずかしかったな~。でも、俺は、こんな年になっても、全然別世界に挑戦できたってことに、感謝しています。メンバー、ありがとうございました。













サッカー風に言うならば、イエローカード提示者2名。
一発レッドカード1名。
電話の話の中での、お断り、1名。
直接会って、話してみてのお断り、1名。
ある意味、場所を守るためには、勇気と決断は必要なのです。
俺は、恨まれるかもしれない、けど、NOはNOです。
誰か?ってのは、また、聞いてください。









飲みすぎて、急性アルコール中毒になり、救急車が来ちゃった人。ギターのしのぶくん。
大変だったね。俺、現場にいなかったけどさ。元気になって良かったよ。









なんか、ほんと、いろいろあったな~。





続く。次が最後ね。


  
Posted by PSPスタッフ at 12:00Comments(0)

2016年03月29日

あとがき

PROJECT of PASSPORTについて書きます。






みなさん、今までありがとうございました。
みなさんが、絡んでくれなければ、ライブを入れてくれなければ、成り立たない計画だったのです。
心より感謝します。
思い起こせば・・・・っていうと、ほんと、いろんなことが蘇ります。
それほど、いろんなことが、ありすぎた8年間だったです。
最後に、『あとがき』ってことで、思いを綴ってみようかな、と、思います。
文章的に、いいものは書けないと思います。
ただ、自分なりのケジメとして、書きなぐります。
もし、よろしかったら、お読みください・・・・・・。













いついつライブをやる。
そのために練習をする。
チケットも裁かなきゃいけないし、フィジカルもメンタルもベストにしなくちゃ良いライブはできない。
仕事もかたずけなきゃいけないし、いろんな予定も、できれば済ましておこう・・・。
だって、ライブって、バンドにとっては、非常に重要な行事なんだからね。
非常に重要な行事・・・・。
『祭り』なのかもしれない。
ある意味・・・。


















ライブを運営する側、つまりPROJECT of PASSPORTとしては・・・・・・。
下手はできない。
考えられる準備は事前に済ませておく。
常に考えることは、『なんのトラブルもなく、無事ライブが開催され、滞りなく終了すること』
なんのトラブルもなく・・・。
滞りなく終了する・・・・・。
そう、これしかない。
飛行機と同じかな?
飛行機と同じ、飛んだら落ちるわけにはいかない。
無事、目的地に着陸する。
それが、当たり前。
バンドさんは、場所を予約した以上、ライブも、やれて当たり前。
スタッフサイドは、そのライブを、滞りなく終了する、これに勝る目的はない。
その観点から言うと、数えきれないくらいのライブイベントを、開催そして終了できたことは、誇りにも思うし、感謝の念にたえないし、『よく、やったな~』って思う。
ほんと、よくやったな~って思う。
マジで。
ようするに、飛んだ飛行機は、一度も落ちることなく、目的地にランディングしたんだ。
うれしい・・・。
















いいライブであったか?そうでなかったか?ってのは、バンドさんとお客さんの関係が、ほとんどだと思う。
PROJECT of PASSPORTとしては、絶対足を引っ張っちゃいかん。
応援をしなきゃいかん。
バンドさんとも、人間関係を築き、気持ちよくステージに立ってもらわなければならない。
『無事ライブが開催され、滞りなく終了すること』が、メインだけど、協力できるとこはもちろん協力する。
でも、稀に、わけのわかんない持論を押し付けてきて、わがままほうだいの奴もいる。
そおゆう人には、勇気をもって、NOをつきつける。
稀だけどね、すごく。
そんなスタンスかな?
うん、こんな感じだと思う・・・・。













PROJECT of PASSPORTにおいて、ライブを成立するってのは、第一目標ではあるけど、俺はこんな風にも考えた。
『学校で言うところの放課後的場所』




みんな、仕事や、様々な役割(組織の中での役とか)、家庭、などなど、果たさなくてはならない責任の中で日々生きている。
責任は甘くないし、放棄すれば、無責任者のレッテルが貼られる。
まったくやっかいな代物だ。
そんな日常の中で、この場所に集まり、いろんな人たちが出会い、コミュニケーションを持ち、共感し、携帯を交換する。
テーマはなんでもいい。
別に音楽にこだわる必要はない。
自由だ。
「へえ~、海釣りするの?俺もやるんだけど、こんど一緒に行かない?」でもいい。
「合コンあるんだけど、一人足りないんだ、君も来ない?」でもいい。
男と女が出会い恋に落ちるなんて、最高だし、バイクツーリングチームが立ち上がるきっかけが生まれるのもいい。
つまりは、年齢や、社会的地位を度返しして、この場所で様々な人が出会い、何か(something)
が、生まれれば、この場所の意義は大きい。
と、そんな風に考えていました。
とりあえず授業が終わった後の放課後・・・。
学ランのボタンはずして、タバコふかして、テイラースイフトなんか流しながら、「なんかさ、面白いことねえかな?・・」と、言えるような空気感。
リラックスの中で、未来につながる何かを感じたり、少しの希望がみえたりする空間。
そんな場所・・・。
こんな感じになれば、ベストかな?なんて、思ってた。











実際、PASSPORTで出会って、生まれたバンドもあるし(いくつかあるんじゃないかな?)、ギターの嶋田あっつくんと、スタッフのちさきちゃんは結婚したし、フットサルチームDANFCは立ち上がったし・・・。
よかったです。
うれしい・・・・。
ほんとに、うれしい・・・・。












さて、PROJECT of PASSPORTが、どのように立ち上がっていったのかを書きます。
記憶のかけらをかき集めて、このブログを見直しながら、神経を集中して、バックトウザ2007年へ・・・・。










思い起こせば、8年前。
季節は秋かな?
こんな風にして、立上って行きました・・・・。
















「PASSPORTでライブを企画運営してほしい。自分がトップとなって好きにやってもらえばいい。この空間、設備、環境を使って、ライブハウスとして定着させてほしい・・・」
と、マスターは俺に言った。
正確には、もっといろいろな言葉を散りばめ、話題があっちこっちに飛び、それに対して俺が対応するという形ではあったけれど、要約すると、上記のような依頼だった。
依頼?
そうだな、依頼って言葉が妥当のような気がする。
お願い・・・じゃ、情けない感じだし、命令じゃ、「ざけんなよ・・」と、俺は切れただろうし・・・。
この場所で、ライブを企画運営してほしいという、依頼があったわけです。
















2007年秋。
俺は45歳(ここで、17歳って言えれば、青春っぽいけど、残念ながら事実は45歳)。
ラジオから、大塚愛の『スマイリー』が、流れてた、そんな頃。
ちょうどその頃、復活したホールイベント『ショルダートゥショルダー』に参加のため、練習している真っ最中だったかな?
年末に行う予定の、ビートルーズライブの予約をパスポートにとりに行った時、マスターに声をかけられたわけです。
「なるほど、考えさせてください」
と、俺は、いったん保留する。
だって、こう言っちゃなんだけど、信用できる人なのか?
ただの奴隷として、こき使われるだけじゃないのか?
多大なる責任を押し付けられ、「ほら、お前の責任だから、100万払えよ・・・」と、無理難題を押し付けられやしないか?
などなど。
多くの人がそうであるように、俺も基本的には『疑い』ます。
「考えさせてください」・・・・ほんと、いい言葉だね。
人生において、様々な決断を迫られたとき、ワンクッション置くという行為、大切なことだと俺は思うよ・・・・。















さて、考えたわけです。
いろいろ考えたわけです。
想像したわけです。
リスク、そしてメリットを・・・。
でも結局、とどのつまりが・・・やりたかった、のでしょう。
メリットを考えた場合に、その時々のライブの責任は負うにしても、店全体の経営者は、マスターでありママさんなんだから、やばくなったら逃げちゃう、というメリットがある。
これは、でかい。
リスクもたくさんある。
「毎週土曜日は、なにかしらのイベントを入れるように」
おいおい、である。
ってことは、俺の土曜日は基本的になくなるわけ?
う~ん、である。
しかし、なんだかんだ言いながらも、『やりたかった』のです。
17歳の少年がSEXをやりたいように、俺も、この場所で、ライブイベント企画をやりたかったのです。
猿のセンヅリのように・・・・やりたかったのです。
最終的には・・・・本能ってことですかね?

















「元気?・・・」と、栃本なおくんに電話しましたよ。
だって、一人じゃできない。
かと言って、変な奴と組むわけにもいかない。
企画を立ち上げようとしたときに、理想だけを雄弁に語って、実際はなにもしない輩(やから)を、俺は何人も見てきました。
いませんか?そおゆう奴ら。
実際に戦場には行かずに、暖かいソファーの上で、個人的理論だけを口にするやつら。
俺は、そんな奴らが嫌いです。
なお氏は、一緒に、どぶ川に手を突っ込んでくれる人・・・、と、俺はふんだわけです。
実際、どぶ川はおろか、肥溜めにだって、手を突っ込んでくれました。
君なくして、俺は、この企画のを立ち上げる勇気はなかった。
ありがとう・・・。
MODSの『トゥーパンクス』って曲、このころよく聞いてたな・・・・。
♪うつろな街に風が吹き付ける・・・ってやつね。





















2008年
知り合いのバンドさんたちに、とりあえず宣伝しました。
「ライブをやって、よろしく」と。
知っているバンド名を、紙に書き出してみた。
足りない・・・。
なぜか?
だって、毎週土曜日ライブ企画が入れれるほどの数が絶対的に足りない。
どう考えても、足りない。
無理です。
「毎週は無理です」と、言いたかったけど・・・。
出した結論は、「やれるとこまで、やってみよう」ってこと。
『実績を作ってから、言いたいことを言おう』って考えていた。
実績・・・・まあ、カッコよく言えばだけどね。
それに・・・やばくなったら逃げちゃえばいいんだし・・・・。
そんな感じで、2008年は始まったわけです。











1月の寒い夜、パスポートで打ち合わせを終えた帰り道、国分寺通りで歌うツバメ(ひでき&さとし)に出会う。
凍えるような寒い夜、息も白く、手もかじかむような、真冬の夜でした。
速攻で声をかける。
もう、なりふりかまわず、ナンパっすよ。
「パスポートって場所で歌ってみませんか?」と。
携帯を交換して、別れたわけだけど、「お願い!付き合って・・」と、強く念じたものです。
のちに彼らは、「…実はあの時、裏がある、と、疑っていました・・」と、言ってました。
そりゃそうだよね。












同じ頃、朝日町界隈で、かがえとおるくんとバッタリ・・。
彼とは、ユニオンロッカーズのサポートとか、サッカーで、一応の面識があった程度だったかな?
もう、ナンパすよ。
「ねえねえ、今、バンドとかやってるの?」と聞くと、
「ちょうど、カリアゲハンサムボーイ、という、バンドを立ち上げたところなんですよ」とのこと。
ラッキーと、思い、「じつはさ、パスポートで・・・・・・・・・」と、懇願。
その後、とおるくんとも、ほんと、つるむようになる。
フットサルにしても、エレキ一発にしてもね。
縁を感じるよ。










この頃、いろんな人達と、番号交換もしたな。
もう、なりふりかまわず。
でも、覚えてないわけですよ。
例えば、山田くん、と、登録した番号でも、『誰だったっけ?』となる。
だから、『山田くん クリアウオーター』みたいにしておくわけです。
ちなみに、ワニタロー君は『スリーピース タロー君』ってはいっているし、ベースのとく(アームレスリングチャンピオンでもある)、は、『アーマーピアスのとく』と入っています。
わかる人はわかると思うけど、時代を感じるよね・・・・・。









まあ、そんな感じで突入していったわけです。
あてのない航海の旅は始まったわけです。
プライベートな土曜日は消えていったのです。
すべての土曜日を埋めるというミッションに一応挑戦したわけです。







で、どうだったか?










その年の夏まではやったような気がします。
でも、『もう無理です』と、お伝えしましたよ。
すると、『わかりました。できる限りでいいですよ…』的な言葉をいただいたような記憶がある。
ホッとしましたね。
だって無理だよ、そんなのさ。









こうして、ノルマという課せられた十字架を消し去り、航海は続いていったわけです・・・・・・。





続く・・・
  
Posted by PSPスタッフ at 22:00Comments(0)

2016年03月28日

パスポートファイナル

昨日の疲れ引きずったまま、昼間に仮眠をとろうと思うけど、うまく眠れない。
しかたがないんで、リンゴかじって、牛乳飲んで、シャワーを浴びて、家を出る。
飼い犬に『じゃな』と言うも、返事はない。
かと言って、返事を期待などしていない。
犬は犬だし、俺は俺。
I-PODから、『イマジン』が流れている。
宮川を眺めながら、ゆっくりゆっくり、北へ北へ・・・。
街中のほうに、、パスポートをめざし。
もう8年にもなる。
そう、8年前は、I-PODではなく、MDウオークマンだった。
地デジ放送ではなく、ブラウン管TVだった。
途中、知り合いの人にばったり。
「・・・パスポートやめるんだってね?」
「・・・そう、ラストライブ、今夜・・・」
そんな会話を交わして、歩を進める。
男として責任を果たせ・・・と、天の声。
「わかってるよ、そんなこと」
最後まで、責任を果たすんだ。
もう8年になる・・・・・・・・・。






と、カッコよく書けば、そおゆうことなんだけど、また、『あとがき』ってテーマで、PROJECT of PASSPORT を綴ってみたいと思います。

ずいぶんと、長い文章になると思うけど、それが、俺の最後の仕事かな?
それで、責任と言う十字架をを、背中から降ろそうと思います・・・・。







その前に、ラストライブ。
いいバンドが、そろいましたよ、いろんな意味でね。

たくさんのお客さんのご来場、誠にありがとうございます。
熱気に満ちていた空間でした。
この日は、忘れないかもね・・・・・・。
サンキューね。










JELLY POT・・・ミキちゃんは当初、アコースティックチームのボーカルだったし、なお氏はPROJECT of PASSPORT 立ち上げメンバーだし、おっきーは一緒にエレキ一発やったしね。思い起こせば、いろんなことを覚えています。ミキちゃんの声は当時のままだね。そうそう、バルーンショウもやってもらったけな。スピード全開でやっていました。






























パクリSP・・・ここも古いですよね。ライブハウス『ストロベリーフィールズ』の時から、出てもらっていますよね。とにかく、ガツンガツンと、ボーカルほえまくります。ギターもベースもドラムも攻めます。リハから絶好調です。ボーカルは、俺の家の建築現場監督です。おかげで、ロックな家が建ちましたよ。男気にあふれるバンドです。









































カミソリチョップ・・・・最後はこのバンドでパスポートは幕を下ろしました。これは、絶対忘れないでしょう。このバンドが最後だったって・・・。ボーカルのえいちゃん、かっこいいです。ミスターパンクですね。客のほう行って、帰ってきません。それでいいんです。もてる力を全部出して、最高のラストを飾っていただきました。あざーす。やっぱ、こうでなくっちゃね・・・。



























ラスト打ち上げ













ラストスタッフ ぼんちゃん、レイラ、ありがとう。ご苦労様。










ママさんに「長い間、ありがとうございました」と、一礼し、パスポートの階段を下りる時、音響の西倉君、ぼんちゃん、レイラと一緒だったんだけど、「責任は果たしたぞ」って、言いました。
無事終えることができたんだから・・・・。ね。
我々は、やり遂げたんだよ。
少しくらい、誇りに思っても、バチはあたらないさ。
誰かが、やらないと、ライブは成立しない。


いろいろ、書きたいけど、体力がない。
『あとがき』で、いろいろ書こう・・・・・。
今日は、眠ろう・・・・。
春も近いし・・・・。
朝はまた来るわけだしね・・・・・・・・・。




BYnarihara


  
Posted by PSPスタッフ at 01:20Comments(0)

2016年03月27日

終わりのない旅へ
















ちょっとくどい?

まあまあ・・・・。
ということで、ユニオンロッカーズ田尻君主催の、バンドパーティーが行われました。
終わりのない旅へ、という、ARBさらば相棒、の、中の、1フレーズですよね。
すごく、いい雰囲気で、盛り上がっていましたよ。
どれもこれも、主催の田尻君が、強面(こわもて)を生かして、威圧したからでしょう。
ほんと、ご苦労様でしたね・・・・。












写真はっときますね。


































いやー、横浜銀蠅の『ぶっちぎりロックンロール』が出たときには、ぶっ飛びました。
それに、パスポートママさんと、俺なんかにも、花とか色紙とか、ありがとうね、田尻君。
顔は怖いけど、優しい人です。




くどい?やっぱり・・・・。






2次会混ぜていただきました。
場所は、ビストロボンヌ地下です。


おもしろかったですよ。
ユニオンロッカーズでギター弾いてたビッチ君の妹さん、ラフィンノーズのチャーミーとマジで付き合ってたんですってね。
驚きですよ。
びっちくんのお姉さんは、積木くずしを、己で生きたひとなんですってね。
こんど会わせてください。
一緒に、シンナーやりたいです。





さてさて、明日?じゃなくて、今日ラストライブです。
こうやって、夜な夜な、ブログ書くのも、懐かしく感じる時が来るのかな?
うん、がんばろう・・・・。
おやすみなさい・・・・。






BYnarihara





  
Posted by PSPスタッフ at 01:41Comments(1)